稽古は楽しいと思ってやらないと
強くなれない
パワー空手(1988・6月号)『大山倍達総裁・内弟子朝礼訓話』より
人間だから楽をしたいし、
ときに稽古をするのがいやになるときもある。
しかし、稽古をやるときは、
稽古ほど楽しいことはないと思いながらやらないと伸びない。
食事をするときもそうです。
どんな粗末な食事でも、おいしく食べれば、
必ず血となり肉となり骨となる。
粗末な食事だからといっていやいやながらまずそうに
食べたら、一緒に食べている人も気の毒になるし、
それでは血にもならない、肉にもならない、骨にもならない。
仕事をするのも同じです。
仕事をやっているのが楽しくてたまらないという気持ちで
仕事をしないといい仕事はできない。
無から有を生じるのが仕事だというような意欲を持って、
楽しくてたまらないという気持ちで仕事をすれば、
進歩もするし仕事の内容も充実する。
今日も仕事か、いやだなあ、
という気持ちだったらうまくいかない。
いい仕事はできない。なんでもそうです。
稽古もそうです。
稽古のときも楽しくて仕方ない、
という気持ちで稽古しないと、稽古が強さにつながらない。
私は君たちが生まれる前から半世紀もの間、
この冷たい床の上で、稽古をつづけてきた。
稽古に稽古をつづけて今日に至っているが
いまだに稽古着を着たときが一番楽しいよ。
すべてを忘れられるから。
だから私は、組織の運営だとか、
そういうことを一切心配しないで稽古の指導だけやっていろ、
と言われたらそんなにうれしいことはない。
だが、いつしか頂点に立ってしまって組織の運営にたずさわら
なければならなくなってしまったから仕方ないけど・・・。
君たちは稽古をするために、内弟子になったんだ。
強くなるために。
人間だからいやになることもあるよ。
今日はなんとなく稽古をするのがいやだなというときが。
人間だから当たり前です。
稽古は実際問題としては楽しいものではない。
苦しくつらい。
冬の合宿のとき壮年部の人の話を聞いた。
『合宿というのは楽しいものではありません』と言う。
私は真実だと思う。寒いよ。
つららの下がった滝に打たれる。
雪は降っているし寒いし冷たい。
そこへ裸になって飛び込むんだから
ふつうに考えたらいやだよ。
20kmのマラソンがある。
朝6時から起きて寒い中で稽古する。つらいよ。
『しかし、それをやることにおいて、終わったあとの壮快さが
素晴らしい。これはやった人でなければわかりません』
とその人が言っていた。
真実を言っているな、と思いながら聞いていた。
そうやって滝を浴びたということによって
ひとつの意欲が生まれてくるし、
一年間の自分の気持ちを引き締めることができる。
一年間、毎日の生活の充実がはかっていけるのではないか。
そう考えれば、冷たい滝浴びも楽しいものになってくる。
そういうふうに考えることが大事です。
だから、楽しいなという気持ちで1日2時間の稽古をやる、
自主トレを1時間ぐらいやる。
稽古は楽しくて仕方がないという気持ちをもって
一生懸命稽古する。
そういうふうに心がけて稽古をつづけて下さい。
新入寮生に
パワー空手(1990・7月号)『大山倍達総裁・内弟子朝礼訓話』より
『押忍』という言葉は押し忍ぶことだ。
我慢することだ。
人生は我慢すうることです。
毎日が我慢だ。
わがままは許されない。
辛いことも楽しいこともいろいろあるだろうが、
内弟子はやっぱり我慢ということが一番大事です。
我慢することにおいて大器晩成する。
我慢すれば何でもできる。
我慢するということは負けるということではない。
勝つための我慢です。
すべてに我慢するということを念頭において、
一日一日を送って下さい。
君たちには偉大なる目的がある。
まず強くなることだ。
同時に大勢に尊敬される人間になることだ。
世の中にはいろいろな人間がいる。
世の中にいてもいなくてもいいという人、
世の中にあっては困る人、
世の中にいなくてはいけない人。
この3種類がいる。
君たちは人から尊敬される人間になるのだ。
私たちは神様ではない。
しかし神様に近づこうとして毎日修行する。
それが若獅子寮の修行です。
人のために役に立つ人間になりたい。
社会に奉仕したい。
国家に忠誠をつくす。
これが日本人の本来の精神だ。
そして極真の精神です。
そういう人が親孝行をする。
そういう人が友人として信頼だきる。
そういう先輩、後輩とは非常にきずなが強くなる。
人はどうでもいい、
俺だけ良ければいいという気持ちは絶対に持つな。
自分本位で親のことを考えない人間は友人のことも考えない。
後輩のことも考えない。
そういう人間ばかりいるから世の中がおかしくなっている。
文明社会ではなく、破局の社会になろうとしているような
気がしてならない。
私たちは、目に見えない一つの連携を保って生活している。
その連携を持った生活を素晴らしいものにしていくのは、
毎日の勤行です。それが日本を救う。
毎日精進して少しずつ強くなっていく。
今日は拳立てを30回やった。
明日は31回・・・、
一週間に5つぐらい増やすようなつもりでやる。
そして疲れたなぁと思ったらその翌日は1回休むといい。
君たちは内弟子だから強くならなくてはいけない。
強くなるのは腕だけではない。
頭も強くならなくてはいけない。
そのために必要なことは本を読むことだ。
本をよまない人間はだめです。
本といってもくだらない週刊誌を見て
ニヤニヤしているようなことではだめ。
良本は良友よりも優るという。いい本をたくさん読むことです。
そしていいところがあったら書き取る。
そうして自分のものにする。
これから1,000日間、君たちと毎朝こうして顔を合わせます。
縁あって君たちは私と師弟の契りを結んだのだが、
結んだ以上1,000日間で何かを一つつかんでほしい。
内弟子の道をまっとうすることはむずかしい。
稽古をする。英語の勉強もやる。活法もやる。本も読む。
日誌も書く・・・・・・。
文字どうり押忍の精神だ。
それ以外何もない。
先輩と後輩の関係について
パワー空手(1988・11月号)『大山倍達総裁・内弟子朝礼訓話』より
私達は神様の世界に生きているのではない。
されど、神様に近づくように修行するのが若獅子寮の修行です。
そういう心がけで毎日毎日修行するのが若獅子です。
先輩は、いいことはすべて後輩のせい、
悪い事はすべて自分のせいというような気持ちで
後輩を温かく見守ってやって下さい。
先輩だということで後輩に威張るのはよくない。
たいして強くもないのにただ先輩だ、ということだけで
威張るのがいる。
そういうのは私は大嫌いだ。
チャンピオンになったというなら話は別だ。
たいして強くもないのに、ただ先輩だから、
1年早いからというだけで威張るのは大嫌いだ。
後輩にだって強いのはいる。
後輩だからといって空手が弱いとは限らない。
先輩より強い後輩はいくらでもいる。
私は、強い先輩が威張るのは、強いからということで容認できる。
しかし弱いのが威張るとみっともない。
ただ先輩だということで。
”虎の威を借りる狐”で見ていて恥ずかしい。
私は若いころ、先輩を叩いたことが2回ある。
これはいいことではない。
しかし、あまりに後輩いじめをするから叩いてしまった。
私は小さいときからそういう正義心というよりも
”きかん気”が強かった。
『先輩だからといってああしろ、こうしろと威張るんじゃない。
たいして強くもないのに。おれが一発叩いたらのびちゃうよ』
という気がふだんから心のなかにあったものだから
叩いてのばしてしまったことがある。
これはいいことではない。
私は、後輩に威張ったり、
いじめたりする先輩は昔から大嫌いだ。
やたら先輩に頭を下げる後輩も嫌いだ。
いくら強い先輩だからといって。
男は1回頭を下げればそれでいい。
若獅子は相手がいくら強い先輩であっても
何回も「押忍、押忍・・・」とやるな。みっともない。
先輩にあったら大きな声で『押忍!!』と1回言えばそれでいい。
何回もいうことはない。
君たちの戦意を挫くような言い方かも知れないが
強い後輩はいるんだ。実際に強い後輩が。
ただ、道場は喧嘩の場所ではなく、
礼儀作法と人間性を磨くところだから、
我慢しなくてはいけないし、押忍の精神ですべてやらなくては
いけないから先輩を立てているわけだ。
そういう後輩は何人もいる。
先輩というだけで虚勢をはったりするのはよくない。
謙虚に、強ければ強いほど謙虚になるのが武道の修行です。
そういう人間性を育てるのが道場です。
後輩には威張って、
強い相手には小さくなって「押忍、押忍」とやる。
これは若獅子の精神とはなんの関係もない。
若獅子は、強い相手に刃向かっていくような気概をもってほしい。
そんなに強いというならおれが倒してやるというような。
それが覇気だ。
自分より強い相手がいたら勝っていく。
走るのが早いというなら自分はもっと早く走る。
縄跳びがうまいというなら自分も挑戦してみればいい。
そういう意欲、たとえ先輩でも、間違ったことをしたら許さないぞ
という覇気がないと、男の中の男にはなれない。
水のなかに酒が混じっているのか、
酒の中に水が混じっているのかわからないような男ではだめだ。
なにごとも男らしくはっきりして、
覇気をもって、毎日の稽古に邁進してほしい。
なにごともまじめに
・・・随時、更新します。
サムライの精神とは何か
・自己に対する慎み
・友に対する信頼
・親に対する愛情
・師に対する尊敬
・社会に対する奉仕
・国家に対する忠誠
この六つさえ忠実に守っていれば、
人間、道を誤ることなどないはずだと私は思う。
大山倍達『空拳士魂・わが魂の実像』より。
強くなりたい!
と願うのは人間の本能である。
本能の欲求にかられて、若者は極真会館の門をくぐる。
強くなりたい!
ではどうすれば強くなれるだろうか。
強くなるためのてっとり早い方法など、実はない。
地道にコツコツ稽古を積み重ねていくことが、
最上の方法である。
階段をかけ足で昇る必要はどこにもない。
一段置きにとび上がって行く必要もない。
一段ごとにしっかりステップを確かめながら昇っていくのが
一番利口であり、結局ははやいのだ。
焦るのはつまずきのもとであり、大ケガのもとである。
焦らず、階段を踏んで稽古していく気持ちが大切である。
極真カラテに励む者は、
”ウサギとカメ”のカメになることである。
鈍くさい、と思う人があるかもしれない。
しかしそれは間違いである。
人から何と言われようが、
気長につづけていく人が最後に笑う。
最後に勝利者となるのだ。
はじめは鈍くくすんだガラクタでも、
磨き上げ、練り上げていくうちにキラリとした光沢を発する。
心は穏やかに、肉体は鋭利な刃物のように、
自らを変えていく必要がある。
最後に皆さんにアドバイスしておきたい。
稽古は考えながら行うようにするべきである。
このワザは何のためにあるのかと、
常に《なぜ?》を追求していくことから進歩は生まれる。
また、その方が呑み込みも早く、したがって上達も早い。
強くないたいと思ったら、地道に稽古を続け、
その中で《なぜ?》を考えることが肝心といえる。
若者よ、強くなれ。
新たなる真の武人の出現を切に願って
大山倍達は本書の筆を措く。
大山倍達『空拳士魂・わが魂の実像』の最終章(第七章・今、極真カラテの新時代)より
・・・随時、追加します。


